落語に『茗荷宿(みょうがやど)』というネタがある。

あらすじを紹介すると、

「ある客が安宿の『茗荷宿』の主人に三百両を預ける。
宿の主人と女将 (おかみ) は、この客が、金を預けた事を忘れてしまうように、
(食べると物忘れをするといわれる)茗荷を使った料理を、
これでもかと言われるほど食べさせる。

その計画通り、お客は預けた三百両を忘れていった。
宿の主人は小躍りするが、客はすぐに三百両をとりに戻り、去っていった。
悔しがっている宿の主人に、
女将が、
あっ、宿代をもらうのを忘れた」
というオチ話。
これに限らず、何かにつけ、忘れるという事は碌(ろく)な事にはならない。


だけども、暮れになるとテレビ番組などに『年忘れ~』
と冠した番組がふえる。
まるで忘れるのを奨励するようなもの。
忘年会なども、
暮れになるとあちらこちらで催される。
「忘れる事がいいことかい?」
と疑問に思ったりする。

探ってみると、もともとの「年忘れ」の意味は、
年の暮れに、その年にあった苦労や辛苦などを忘れ、
労をねぎらうという慰労の意味が込められているものだという。

特に、つらい事を忘れる意味が込められているようだ。


ま~、私などは「年忘れ」などと、あえて忘れようとしなくても、

年齢とともに、み~んな忘れてしまっている。