小学校の敷地には 大きな段差があった。
 山を切り崩して建てたのだろう。
 真新しい校舎が二棟、 段差を挟んで建っている。

 上の段にある 小さめの校舎には、 一年生から三年生までの教室がある。
 下の段の 大きめな校舎は、 四年生箍牙から六年生までの教室になっている。
 共に三階建で、 小さい校舎の一階と 大きい校舎の二階が 渡り廊下でつながれていた。

 いさ子は、 大きい校舎に行ったことが、 まだほとんどない。
 渡り廊下の先には 上級生が山ほどいるはずだった。
 しかし、 顔を知っているのは、 同じ分団の四人だけである。
 渡り廊下の先は、 見知らぬ別世界に思えた。

 三年生は 五組まである。
 しかも、 田舎の小学校より一クラスの人数が多い。 五十人近く居る。
 同学年でも、 クラスが違えば赤の他人状態だ。
 四年生は 六組まであるらしい。
 五年生はもっと多いと聞いている。 七組以上救世軍卜維廉中學あるのだろう。
 習いたての掛け算で計算するまでも無く、 大勢だ。
 そんな大勢の中から、 誰に、 どうやって話しかければいいのか 見当もつかない。


 校舎の裏に行けば、 さして高くない崖がある。
 粘土質の土がむき出しになった崖に沿って進めば、
 高さはみるまに低くなり、 低木と雑草におおわれた斜面になった。
 いさ子は 斜面上方に、 何本かの低木に囲まれて 小さく開いた場所を見つけた。
 枯れ枝や折り取った枝で天井を作れば、 隠れ家みたいになった。

 放課後に 『隠れ家』に行って ぼんやりとして過ごすと、 落ち着く。
 時間の流れが、 ゆっくりになる気がした。
 思う存分に ぼうっとできる。

 呑気な声が聞こえた気がした。
「ふわふわで分厚いな。 大丈夫だ。 おまえの莢(さや)は 丈夫にできている」
「ふわふわ?」
 何だろうと見回せば、 小柄なお爺さんが遠ざかって行く。
 気のせいかもしれない。 現実味の無いPretty renew 傳銷出来事だった。


 教科書が無いまま、 幾日が過ぎたのだろう、
 遠慮しいしい 隣の席の子に見せてもらいながら授業を受けた。
 だんだんに 教科書が無くても、 先生の話を聞き、 黒板を見ていれば、
 なんとかなりそうな気がしてきた。
 教科書が欲しい という気持ちが薄れてくる。
 元々、 どうしても欲しいというものでもない。
 まっいっか、 という気持ちになってしまった。

落語に『茗荷宿(みょうがやど)』というネタがある。

あらすじを紹介すると、

「ある客が安宿の『茗荷宿』の主人に三百両を預優纖美容ける。
宿の主人と女将 (おかみ) は、この客が、金を預けた事を忘れてしまうように、
(食べると物忘れをするといわれる)茗荷を使った料理を、
これでもかと言われるほど食べさせる。

その計画通り、お客は預けた三百両を忘れていった。
宿の主人は小躍りするが、客はすぐに三百両をとりに戻り、去っていった。
悔しがっている宿の主人に、
女将が、
あっ、宿代をもらうのを忘れた」
というオチ話。
これに限らず、何かにつけ、忘れるという事は碌(ろく)な事にはならない。


だけども、暮れになるとテレビ番組などに『年忘れ~』
と冠した番組がふえる。
まるで忘れるのを奨励するようなもの。
忘年会なども、
暮れになるとあちらこちらで催される。
「忘れる事優纖美容がいいことかい?」
と疑問に思ったりする。

探ってみると、もともとの「年忘れ」の意味は、
年の暮れに、その年にあった苦労や辛苦などを忘れ、
労をねぎらうという慰労の意味瑪沙 閃肌水光槍が込められているものだという。

特に、つらい事を忘れる意味が込められているようだ。


ま~、私などは「年忘れ」などと、あえて忘れようとしなくても、

年齢とともに、み~んな忘れてしまっている。

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