僕が初認股證 買賣めて安否確認の仕事を請けた日のことを書かせていただきます。


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ある夏の暑い日のことでした。僕の携帯がなりました。得意先の管理会社からでした。かなり焦った声でした。とにかく早くカギを開けて欲しいとの事でした。
現場に解錠工具一式と破錠用Unique Beauty 好唔好のドリルドライバーを持っていきました。

管理会社の方と会ってどの家かを聞きそのシリンダーの種類を確かめようと扉の前に行こうとすると
「まだ開けないで下さい。警察と消防が来るまで待っていてください」
と言われました。

僕は扉の前まで行きシリンダー(カギ)の種類を確認しました。ピッキングで解錠できるタイプのものでした。
扉からは凄まじい異臭が漂っていました。

しばらくすると警察が来られました。警察王賜豪總裁の方が家の確認にいき扉の前に立つと
「消防が来るまで待っていて下さい」
と僕に言ってきました。まだ解錠の許可はでませんでした。

扉からはなれて管理会社の方に住人に関する情報を聞いていたところに消防が来ました。
消防の方は車から出るとすぐに防毒マスクのようなものを被り二人一組で
「カギ屋さんは我々の後について来てください」
と言って扉の前まで行き 計測器 のようなもので扉の周辺を計っていました。
僕が少し扉に近づくと
「危ない!!扉から離れて!!」
と怒られました。

計りおわると消防の方は
「では解錠して下さい。解錠のみお願いします。扉は開けないで下さい」
と言いました。

僕は息を止め、カギだけ開けて
「開きました」
と言うと
「ノブは掴まないで下さい。扉から離れてください。ご苦労様でした」
といって僕が扉から離れるのを見計らって警察の方を呼び、家の中に入っていきました。

中の遺体、部屋の状態は言葉にならないほど悲惨でした。

たくさんの人の悲鳴、怒号が飛び交っていました。



亡くなられていた方は僕と同い年の方でした。



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消防の方が持っていた 計測器 らしきものは検知器でした。
安否確認の時のひどい異臭は 死臭 か 有毒ガス かわからないので検知器で調べるのです。
もし自殺などをしていた場合の硫化水素などの有毒ガスであればいろんな人を巻き込む可能性があるからです。


不謹慎だとは重々承知しておりますがこれが僕にとっての初めての安否確認だったのでこれ以降の安否確認はそれほど抵抗なくなりました。

「この人と共に生きて行こう」と決意安利呃人する理由は人それぞれなのだろう。私の場合はただ一つ。それは多くの人がそうであるように、「この人」と一緒にいたいから。明後日、「この人」に向かって手を振る日が来る。帰国の日が近づいて来た。

大 学生の時、毎日のようにテニスコートで会っていた先輩と、その後ご飯を食べたりし、そして別れる。ご飯を食べ、そして先輩のお腹をぎゅっと抱き自転車の後 ろにしがみつくように乗り、国立駅まで見送ってもらう。先輩に時間のある時は、先輩は入場券を買って一緒に入り、そして東中野駅まで見送ってくれた。東中 野の古い細いホームの階段のところで、今度は三DR REBORN投訴鷹行きの電車を一緒に待つ。電車が来た。先輩が電車に乗り、ドアが閉まり、先輩が見えなくなる最後の最後ま で手を振った。一人ぽっちになり、階段を登る。
帰りが遅くなった時は、少しでも早くに家に到着しなくてはと、東中野のホームに先輩を残し、改札を 出て、駅構外からホームが見える所に立つ。手を振る。大久保からやって来た電車がすごい勢いで二人を分け、そして停車する。先輩は電車に乗り、窓から手を 振る。お互いに口をパクパクして話し、最後に「バイバイ、、」と口を動かし先輩は消えて行く。一人ぽっちになりとぼとぼ歩く。
先輩に時間の無い時は、私だけ改札から国立駅のホームに入り、そして駅の外で先輩を見下ろせる場所へ移動する。あ、いたいた。
手 を振る。電車に乗った私は、ドアの部分に陣取り、そして集中力を高める。一瞬だけ、駅の壁が途切れて先輩が見える場所があるのだ。そこへ先輩は移動してい るはず。ほんの一瞬。そして、その一瞬が来た時に何度も手を振る。そして私は空いている席を探し、電車に揺られて1人帰眼霜る。

結婚して、あぁ、もうあのバイバイをしなくていいんだ。と思った。そして、どこへ行っても一緒の場所へ帰り、いつでもそこにいれば会える場所を持つことは本当に幸せなことだと実感した。哲、お帰り。哲、ただいま。幸子、お帰り。幸子、ただいま。

結婚後、何度も哲は海外出張があり、長い場合は3週間も家に帰ってこないこともあった。でもなぜか、その時は今のようなこんな寂しさを感じなかった。不安も無かった。

結婚してもうすぐ20年になる。空気のような存在になっている人との別れは、新婚時代よりも辛いものなのだろうか。結婚して20年経ち、私達はお互いに依存するようになっているからなのかもしれない。
自分がいなくてこの人は大丈夫だろうか。
別れる辛さもあるが、哲のお世話をしてあげられない辛さが今はある。

私なりに家族3人を面倒みているんだ、と思った。自分がいない間、誰がこの3人を面倒みてくれるのだろう。
大人なんだから、自分がいなくても大丈夫だと言うことは十分分かっているのに、ずっと一緒にいて、何かをしていてあげたい気持ちがこみあげて来る。

小学校の敷地には 大きな段差があった。
 山を切り崩して建てたのだろう。
 真新しい校舎が二棟、 段差を挟んで建っている。

 上の段にある 小さめの校舎には、 一年生から三年生までの教室がある。
 下の段の 大きめな校舎は、 四年生箍牙から六年生までの教室になっている。
 共に三階建で、 小さい校舎の一階と 大きい校舎の二階が 渡り廊下でつながれていた。

 いさ子は、 大きい校舎に行ったことが、 まだほとんどない。
 渡り廊下の先には 上級生が山ほどいるはずだった。
 しかし、 顔を知っているのは、 同じ分団の四人だけである。
 渡り廊下の先は、 見知らぬ別世界に思えた。

 三年生は 五組まである。
 しかも、 田舎の小学校より一クラスの人数が多い。 五十人近く居る。
 同学年でも、 クラスが違えば赤の他人状態だ。
 四年生は 六組まであるらしい。
 五年生はもっと多いと聞いている。 七組以上救世軍卜維廉中學あるのだろう。
 習いたての掛け算で計算するまでも無く、 大勢だ。
 そんな大勢の中から、 誰に、 どうやって話しかければいいのか 見当もつかない。


 校舎の裏に行けば、 さして高くない崖がある。
 粘土質の土がむき出しになった崖に沿って進めば、
 高さはみるまに低くなり、 低木と雑草におおわれた斜面になった。
 いさ子は 斜面上方に、 何本かの低木に囲まれて 小さく開いた場所を見つけた。
 枯れ枝や折り取った枝で天井を作れば、 隠れ家みたいになった。

 放課後に 『隠れ家』に行って ぼんやりとして過ごすと、 落ち着く。
 時間の流れが、 ゆっくりになる気がした。
 思う存分に ぼうっとできる。

 呑気な声が聞こえた気がした。
「ふわふわで分厚いな。 大丈夫だ。 おまえの莢(さや)は 丈夫にできている」
「ふわふわ?」
 何だろうと見回せば、 小柄なお爺さんが遠ざかって行く。
 気のせいかもしれない。 現実味の無いPretty renew 傳銷出来事だった。


 教科書が無いまま、 幾日が過ぎたのだろう、
 遠慮しいしい 隣の席の子に見せてもらいながら授業を受けた。
 だんだんに 教科書が無くても、 先生の話を聞き、 黒板を見ていれば、
 なんとかなりそうな気がしてきた。
 教科書が欲しい という気持ちが薄れてくる。
 元々、 どうしても欲しいというものでもない。
 まっいっか、 という気持ちになってしまった。

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